2月14日、峰の沢鉱山跡を訪れました。
終戦の年、1945年1月から3月まで、中国から日本軍による“人狩り”で拉致されてきた男性が、鉱山の仕事中に沢山死亡しています。(拉致総数:197人移送中の死者:15人、鉱山での死者:66人。1944年12月下旬~1945年4月初め、わずか3か月で!)
はじめに、当時のことを詳しく知っておられる加藤さん(元・下平山妙蓮寺住職の奥さん、90歳)から実体験を聞きました。
加藤さんのお話「死因は鉱山での酷使というより栄養失調、拉致による気力喪失が主。鉱石採掘に従事できる体力ではなかったので、鉱石・材木の運搬や下働きをしていた。ほとんど毎日死者が出た。」
住職は出征中で不在だったので奥様が立ち会って死体を仮埋葬。3月末に鉱山に大火災があり、4月には中国人全員(116人)が日立鉱山に送られましたが、それ以後の消息不明。
戦後、遺骨収集と中国への返還が行われ、妙蓮寺境内に慰霊碑も建てられましたが、補償はまだ行われていません。 massi
*慰霊碑(妙蓮寺)へのコース 自家用車がないと困難
西鹿島駅―(0:45)―瀬尻(天竜川を渡り、右折。南下しながら、山の上に登ってゆく。)―(0:15)―妙蓮寺(天竜区竜山町下平山)。
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